春だ出会いの日 ・一人じゃできないから ・あらゆる人の力をお借りして… ・子どもの心に寄りそって ・瞳の輝きなくさないで |
新しい年度、新しい学期のスタート。子どもたちは、胸をわくわくさせて、何かが始まる出会いの日を待っています。
新しい年度のスタートは、教師のみならず子どもたちも大きな希望や期待とともに、不安と緊張をもって登校してきます。「新しい担任はどんな先生だろうか」「仲良しの友達と同じクラスだろうか、新しい友達ができるだろうか」等々。そんな子どもたちの気持ちをできるだけ和らげ、自然な自分の姿を子どもたちが見せることができるようにしたいと思っています。
昨年度、私は算数専科をしていて担任として学級をもっていなかったのですが、次に担任をもった時には学級開きでやりたいと思っていたことがあります。それは昨年の県教研の特別分科会で中西実先生に教えてもらった「一人じゃできないから」という歌を学級開きに子どもたちに教えて、いっしょに歌うということです。
ぼくは ぼくの組を
こんな組にしたいんだ
いじめなんかなくて
一人ずつだいじにされて
まちがえてもわらわれない
そんな組 ぼくらの組
みんなの組 すてきな組
一人じゃできないから
ちから合わせて
作ってゆこう
そして、この歌の下線部分を一人ひとりの子どもたちに考えてきてもらうことを翌日までの宿題にしようと思っています。子どもたちのクラスへの思いを曲に合わせて歌ってもらい、お互いに知り合い、大切にしてほしいと思うのです。幸い今年は四年生の担任になりましたから、このことが実践できます。子ども達がどんな思いを歌にしてくれるか楽しみに四月八日を待っています。
一六年ぶりに障害児学級を担任した昨年の四月、わたしは、三つのことを心に決めました。
一つ目は、障害児学級の子どもたちが学校の中で孤立することなく、みんなの中で生きいきと生活できるように、さまざまな工夫をしようと考えました。そのために、私自身が交流学級の子どもたちと仲良くなり、常に障害児学級の子どもたちとのコーディネーターに徹するよう努めました。交流学級の子どもたちの優しい姿を見つけたら必ず抱き上げて褒め、担任の先生や管理職・他の先生方にも喜びを伝えました。
二つ目は、保護者との信頼関係を築くために、家庭訪問を繰り返しました。どんな些細なことにでも時間を作り、足を運んで話し込みました。雑談の中で、保護者の「わがまま」とも思える要求の裏にある深い思い、悲しみ、不安等を知りました。また、子どもの教育についても、保護者こそ「ベテラン」であるので、「こんなときはどうしたらいいのでしょうか」などと教えを請いました。
三つ目は、「知は力なり」ということです。学習しようと思っても、なにしろ五〇余歳。帰宅してからの学習はさすがに辛い。研修の機会を逃さず、そこでの発見や出会いを大切にしました。おかげで、昨年は、紀北養護学校の先生方に「数の基礎指導」の本を紹介して頂いたり、指導方法を教えて頂いたりと、大変お世話になりました。
日々の指導においては「困ったときは子どもに聞け」を信条に、一年間を楽しく過ごすことができました。
私が一番大事にしていきたいことは「子どもを誉める」ことです。人は誰でも、いくつになっても誉められたらうれしいと思います。十代の多感な子どもなら、なおさらのはずです。今まで学級のなかで、生徒一人ひとりのいいところを探し、評価することを大切にしてきました。でもなかなか見つからないときや、いろいろしんどくて探せないときもありました。なかには誉められるのを嫌がる子や、誉めても「うるさい」と言い返す子もいて、真剣に悩みました。しかし卒業を迎えたとき、その子から「見捨てずにいてくれた」「ありがとう」と思いがけない言葉が返ってきて、本当にうれしかったです。
こんな経験を通じて、私は「誉める」ということは単なる手段ではない、人と人とを結びつける糊のようなものだ、ということを学んでいきました。これを教えてくれたのは、新採から八年間勤務した富田中学校で出会った子どもたちと、お世話になった先輩の先生方です。この春私は初めての転勤を経験し、新しい職場で新しい仲間や子どもたちに出会うことになりました。これからも、子どものいいところを探し、クラスの「学級通信」にはキラリと輝く子どもたちの姿や思いを映し出していきたいと思います。
保健室にはさまざまな子どもが来室します。一年生から六年生まで小学校では、発達段階も大きく異なることもあり、言葉かけも随分違ってきます。この前、ある子どもが「先生って何重人格?」「先生か?六重人格やんか」「あっそうか」(笑)こんな冗談は高学年にしか通用しませんが、低学年のかわいらしさとは別の楽しい会話が出来るのが高学年の子たちでもあります。
その一方、大型開発地区で大阪のベットタウン化した本校では、親も子もいろんな課題をかかえている現状です。首に家のカギをぶら下げている子も多く、学校でしんどくなったからといってもすぐに迎えてもらえない子どももいます。ベッドで高熱を出しながら「お母さんまだかなあ」と待ち続けなければならないのです。
疲れている子どもたちは保健室が好きです。「ちょっとベッドで転がってもいい?」心と体が充分休まらないのです。私学のみならず県立中学問題等、競争と選別の波にもまれ、子どもたちの心と体は疲れきっています。小さい頃、あんなに輝いていた瞳がわずか一〇才十一才で陰りを見せ、勝ち組、負け組を経験しなければならないのです。学力テスト、学校評価、現場に押し寄せる『教育改革』、世の中の不穏な動き…どこまで子どもたちを苦しめれば気がすむのでしょう。「そんなに頑張らなくていいんだよ。あなたの命が輝いている事が一番大切なんだから。」
春には瞳輝く一年生が入学してきます。どうか瞳がこのまま輝き続けられますようにと保健室からメッセージを発信し続けたいと思っています。